短編集『禁断のエクスタシー』より



淫らに燃えて       一条きらら

 奈津子の初体験の相手は、高校教師である。
 奈津子が短大一年の十九歳、教師が三十一歳の時。十二年上の彼は独身だった。
 婚約して、互いの両親に紹介して、新居の一戸建の家を購入していたのに、二人は別れた。奈津子のわがままが原因だった。
 現在、三十四歳の奈津子は結婚しているが、夫は学習塾の講師をしている。
 奈津子の男性体験は、夫を含めて六人。その中の五人が、教師か講師だった。奈津子は、『先生』と呼ぶ男性に惹かれるのかもしれなかった。
 世の中に、『先生』は教師や講師だけではない。医者も弁護士も画家も音楽家も陶芸家も作家も、そのほか、さまざまな職業の人間が、周囲から『先生』と呼ばれている。
 そんな中で、医者の『先生』ではなく、弁護士の『先生』でもなく、教師や講師である『先生』が奈津子は好きなのだった。
 よく、女性にとって忘れられない男性は、初体験の相手か、またはエクスタシーを教えてくれた相手、のどちらかと言われる。
 奈津子は、初体験の相手とのセックスでエクスタシーを知ったが、だからといって自分のわがままで別れた教師を、いつまでも忘れられないというわけでは決してなかった。
(別れちゃった男の存在って、どんどん過去になっちゃうもの。そして過去っていうのは、やがては消えちゃうってわかっているわ)
 奈津子は、そう信じている。ベッドを共にした六人の男性のうち、忘れられないセックスの相手は、一人しかいない。つまり現在も、週に二日はセックスしている夫だけなのである。
 そのほかの五人とのセックスの内容は、具体的には、ほとんど思い出せなかった。
 初体験の相手とのセックスでさえ、そうである。最初の時は痛くて感動的だったという記憶しかない。どんなキスだったか。どんなふうに乳房を愛撫されて、秘部のどこを最初にまさぐられたか。正常位と女上位になったような気がするが、フェラチオという行為は、まだ知らなかった。それにクンニリングスは、キス程度だったかしら、舌は使ってくれたかどうかと、あいまいな記憶しかなかった。
 二番目に愛し合った男性は、会うたびに何回やってくれたかしらと、それも、憶えていないくらい。
(人間て、忘れたい記憶は、忘れようとする意志がはたらくから、同じ時期でも憶えていることと忘れてしまったことがある、って何かで読んだことがあるわ)
 奈津子にとっては、いつも、その時にセックスしている男が、この世でただ一人の男、最高の男なのである。
 だから、たとえ先月別れた男でも、
(もう過去として消えちゃっていい──)
 という潜在意識があると、どんどん忘れて過去となって消えて、最初から無かったのと同じ──といっていい、泡みたいな記憶となってしまうのだった。
 けれど、それでも、やはり奈津子は教師や講師をしている『先生』である男性に惹かれる。
 それは初体験の相手が、先生だったからではなく、もしかしたらもっと、奈津子が女になる前の、少女──それも幼い少女のころに、自分では自覚していない秘められた原因というものが、あるのかもしれなかった。
 最近、患者が急増している心療内科とか、トラウマという言葉があるが、奈津子の性体験は、それらで解明できることかもしれなかった。  〈続く〉

  

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