短編集『秘めやかな背徳』より
溺れた愛戯 一条きらら
車のクラクションの音で、亜希子は目を覚ました。窓の外でクラクションは、たて続けに、苛立たし気に鳴っている。ふと不吉な予感が、胸をかすめるような音だった。
ベッドのサイドテーブルの上の時計に、亜希子は眼をやった。午後四時半である。
(五時には、この部屋を出なくちゃ……)
そう呟きながら、男のほうに身体を向けて、彼の寝顔をぼんやりと眺める。
今日もたっぷりと愛し合って、快い疲労感に包まれ、いつの間にか眠りに落ちた。夏布団の下は二人とも裸のままだった。
(このまま一緒に、夜を迎えたい……)
いつものように胸の奥が、きゅっと痛くなる。三十二歳の亜希子にも、三十八歳の牧岡圭吾にも、家庭があった。
この部屋は二人がひそかに愛し合うために借りた、ワンルーム・マンションの三階の一室である。キッチンはあるが、ダイニングテーブルも食器棚もなかった。隅に小型の冷蔵庫が置いてある。
二人しか座れないラブ・チェアと小さなテーブル。ダブルベッドとサイドテーブル。それらが家具のすべてだった。CDラジカセは置いてあるが、テレビもなかった。ラブホテル代わりの、情事のためだけの部屋である。
やがて亜希子は、帰宅の時間が気になって、ベッドからそっと降りようとした。
「まだ、いいじゃないか」
眠っているとばかり思っていた牧岡圭吾が、亜希子の裸身を抱き寄せた。
「だって、もう時間よ。帰らなくちゃ……」
亜希子は男の裸の胸に、顔を埋めた。彼の汗ばんだ男っぽい体臭が、また欲望を刺激してくる。
「もう一回……」
と牧岡が囁き、亜希子の秘部を、指先でまさぐり始めた。その指の動きに、熱い蜜が、たちまちにじみ出てくる。
「濡れてきたぞ」
「だって、あなたの指で、いじられてるから……」
そう呟く亜希子の息が乱れてくる。彼の股間のものを探り、そっと握り締めて亜希子は頭の芯が熱くなった。 〈続く〉