偽りの悦楽       一条きらら

 国内線空港ロビーの化粧室へ、早百合は足を運んだ。小松行きの搭乗手続きを、すませた後である。
 化粧室の鏡に向かって、いつもと違う薄化粧のメイクをした顔を、確かめるように見やった。
(なかなか、いいじゃない? いつもと少し違う、新鮮なあたし……)
 ブラウンにカラーリングしたセミ・ロングのサイド・ヘアを、ウェーブにそって指先で軽くかき撫でる。
 いつもより、少し明るめのブラウンに、昨日、美容院へ行ってカラーリングしてもらった。
 金髪ではないけれど、髪を明るく染めるほど、フランスの女優に似ていると友人から言われたことがあるし、自分でも満足なのだった。
 ふだんは、和服を着ることもあるので、あまり明るめのブラウンには染めなかった。
 早百合は、今年、三十六歳。大手製薬メーカーの社長夫人である。
 夫と同伴のパーティや会合に出席したり、重役夫人たちとの会食や、ホーム・パーティを主催したりなど、人目の多い場に出ることが、少なくなかった。
 メイクと髪を鏡で確かめた後、自宅からしてきた結婚指輪をはずしてバッグの中に入れ、自分で買ったプラチナ台に小さなエメラルドのついたファッション・リングを取り出して、それを右手の薬指に嵌(は)めた。
そうするだけで、変身したように、すがすがしい気分になった。
(今日から四日間だけ、自由の身……! シングル気分で、のびのびできるわ!)
 鏡の中の顔に向かってそう呟き、瞳を輝かせる。二重瞼のパッチリとした大きな目が、薄化粧でも充分、魅力的だった。
 季節は日ごとに深まっていく秋だが、服装はオフ・ホワイトのカジュアル・スーツだった。
 カジュアルでも高級ブランドの服なので、素材も仕立ても上質で、着心地が良かった。
 早百合は白系カラーが好きだった。バッグや靴も白地が多い。
 コートを含め、ファッションもほとんど白である。
 きめの細かい、薄い小麦色の肌をした早百合に、よく似合う色だった。
 白は最も贅沢(ぜいたく)な色で、一部でも汚れがつくと、もう使用できない。
(三十ぐらいに見えるかしら……)
 そう呟きながら、全身を点検するように眺める。
 身体にフィットしたデザインのカジュアル・スーツだが、腰の深いくびれが、胸のふくらみと豊かな尻を強調して肉感的なプロポーションとなっていた。
 鏡に向かって横を向いたり後ろを向いたりして、満足の笑みを浮かべると、早百合は小さなトラベル・バッグを手にし、その化粧室を出た。
 いつもの社長夫人ではなく、シングル女性に戻ったと思うと、若々しく浮き浮きと、弾(はず)んだ歩き方になる。
 セレブ・マダムの気取って上品ぶった歩き方をしなくていいのだった。
(うふッ、楽しい、久しぶりだわ、こんなあたしって……)
 一歩一歩足を運ぶごとに、自由、自由と呟きたくなる。                 〈続く〉

      

                                   
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