熟女の渇望       一条きらら

 朝の家事をすませると、香奈恵はいつものようにキッチン・カウンターの上に置いてあるノート・パソコンを、ダイニングのテーブルの上に移して椅子に座った。
 パソコンのスイッチを入れ、インターネットに接続して、キーワード検索に『美容』と入力する。
 美容サロンや美容整形や美容院など、インデックスに多数のサイト名が表示される。
 それらをじっくりと見ていくわけではなかった。適当なサイトを選んで、閲覧してみるだけである。
(毎日こんなのばかり見てるわたしって、ノイローゼ気味なのかも……)
 ふと、そんな不安がかすめる。目的もなく、意味のない、単なる習慣なのだった。
 どうせ無駄だから、やめようと思うのに、こうして美容関係のホームページを見ないではいられないのだ。
 いま選んでみたそのサイトは、エステもある美容院だった。
 ヘア、フェイス、ネイル、ボディなど、それぞれの美容法や、コースと料金などの説明が書かれている。
(どれもこれも、みんな同じようなものね……)
 香奈恵は、深いため息をつく。確かに多額のお金を払えば、髪も美しくなり、スタイルも良くなり、肌も輝いて若々しくきれいになるだろう。
 けれど、それは、美容院にも頻繁に通わなくてはならないし、エステもずっと続けなくてはならない。
 やめてしまえば、すぐ元に戻ってしまうだろう。
 病気でいえば、対症療法みたいなものだ。
 若さと美貌を失っていく原因は、避けようのない加齢――なのだとわかっている。
 香奈恵は、三十八歳になったばかりだった。
 結婚して九年。
 夫の紀之は四十三歳。
 職場結婚である。
 子供ができるまでのつもりで、結婚後も三年間は香奈恵も勤めていた。
 退社したのは、近県に住む母親が入院して、その母と父親の身の回りの面倒を、見ることになったためである。
 母は三か月で退院し、順調に回復した。
 実家へ足を運ばなくてもよくなったが、その後、香奈恵は専業主婦になった。
 通勤の制約もなく、仕事もなく、家事をしていればいいだけの毎日――。
 出かけるのは、スーパーと銀行とデパートぐらい。
 年に数回、友達と会ってレストランなどで食事を共にするとか、実家へ顔を出しに行く。
 夫の会社の夏と冬の休暇に、夫の実家である福島へ数日間泊まりに行く、というのが結婚してからの習慣になっていた。
「たまには、二人で旅行しましょうよ」
 香奈恵がそう誘っても、
「そのうちな」
 夫は気乗りしないらしく、決まってそう答える。
(婚約していたころや、新婚のころは、わたしを連れ歩くのがうれしそうだったのに……)
 独身OLのころの香奈恵は、社内のミスに選ばれたことがある。
 女子大時代も、ボーイフレンドが数人いた。
 中学・高校時代は、美少女と呼ばれていた。
 透き通るような肌の白さ、長いまつげに、パッチリと大きな目、形のいい鼻と花弁のような唇、ロングのつややかな黒髪、女らしい魅力的なプロポーション。
(それが、今では、ただのオバサンね……)
 鏡を見るたび、そう自嘲したくなる。肌は乾燥気味、目尻に小じわ、腕やお腹に贅肉がつき始め……。
 それらを解消するのは、エステや美容サロンや高級化粧品とわかっている。
 けれど、お金がかかる。夫は高給取りではないし、住宅ローンもある。
(このまま、所帯じみたオバサンになっちゃうなんて……)
 耐えられない、と香奈恵は思う。あと二年で四十歳、中年女性と呼ばれる年齢と思うとゾッとする。
   〈続く〉
                                       


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